2015-10-09
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ベトナムでも、イラクでも、アメリカは平和の名のもとに破壊を繰り返してきた。
戦争は、結局、国家という「リヴァイアサン」の好き勝手な行為、に近く、大量の兵器が消費され、それを製造して販売する人たち=「死の商人」が儲かる。タリバンやアルカイダ、ISISを生み出す遠因にもなる。結局、国家による「警察行為」は、平和を生み出すどころか暴力の連鎖をもたらすだけだ。
まさに僕が常々感じていたことをズバリと言ってくれている。
安倍政権が言う「集団的自衛権」とは、警察が市民の安全を守るというような話ではなく、武力抗争を繰り返している暴力団の中で、いちばん強そうな組の下っ端につこう、という話だ。
日本は「いちばん強そうな組」としてアメリカを絶対的親分として見ている。
日本の歴代政府は、アメリカという組の親分に対して恭順を示しつつも、自分の組(日本という国)の自主・自立をいかに守るかという駆け引きを続けてきた。ところが、今の安倍政権は、そうした駆け引きをする能力がなく、ヤクザに憧れる不良番長のように、ただただ「組に入れてください」「入れてくれたらなんでもします」「チャカやドスも持たせてください」「鉄砲玉用意しますんで、好きなように使ってください」と言っているに近い。
戦勝国は、残念ながら、国家のリヴァイアサン性を反省する必然性に乏しい。原爆を投下しながら、未だに国家としては反省の言葉を述べていないアメリカはその象徴だ。集団的自衛権は、結局、警察よりは、反省のない怪物の中に加わることに等しい。
(略)
結局、「集団的自衛権」の美名の下に行われる活動の実態は、国家の中の警察行為とは、かけ離れた、むき出しの暴力であることが現実に多かったし、これからもおそらくそうだろう。私は、日本がそのような、ならず者連合に加わることが、国家としての利益に資するとは考えない。だから反対する。
さらには、
このような時代に、日本が「普通の国家」、すなわち、国家主権の発動としての戦争行為を無反省にやる戦勝国連合に加わることは、人類全体の損失である。
……と、「損得」を超えて一歩踏み込んだ思想を表明している。
僕自身は、人類全体が合理的な考えの下で最大値の幸福を実現していけるまでに成長・成熟することは極めて困難だと思っていて、その点についてはほぼ絶望している。
しかし、今の日本の政権は、人間性悪説の上に立って見ても、あまりにレベルが低すぎる。
悪代官が悪知恵を駆使して下々の者からなけなしの稼ぎを巻き上げるような世の中は今までもあったし、これからも続くだろうが、悪代官たちが悪ガキの暴走をコントロールできない世の中にまでレベルが下がると、壊滅的な危機へと一気に落ちていく。
日本が絶対忠誠を示す「最強のならず者集団」は、最先端兵器で病院を正確に爆撃して、「誤爆、誤爆、ごめんね」と言ってのける集団だ。
その集団にくっついて暴力をふるいたいと思う人物に国の運営を任せることが、国民の平和、安全に寄与することになるのか。
「集団的自衛権」とか「積極的平和主義」「国際社会の一員としての貢献」といった言葉の先にあるのは何なのか。
アメリカがそうした言葉の下で行ってきたことは、歴史にはっきりと刻まれている。ベトナムであり、イラクであり、アフガンだ。
日本国民の大多数がそんなことさえも分からなくなってしまっているとしたら、本当にもう末期的状況と言うしかない。
親分は言わばラスボスで、簡単には表に出てこない。鉄砲玉として消費されるのは子分のほうだ。アメリカがラスボスだとすれば、日本はスライム。安く消費されるんだよ。
今だって、日本はアメリカの国債を馬鹿みたいにいっぱい買わされ、いいカモにされている。この状態に集団的自衛権が加われば、日本はこれから先、金をむしり取られるだけでなく、人命も消費させられる。
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