「戻らない」という戦略
2013-07-03


昨日、今日と、ネット上で読んで「うん、そうなのよね」と頷いた文章をいくつか。
まずは、南相馬市在住のルポライター・奥村岳志さんのブログ「福島 フクシマ FUKUSHIMA」の中から、「浪江町  「戻る、戻らない」を超えて――町民自身による復興のために」と題されたリポート
浪江町(住民約2万人。全村避難)で味噌蔵を経営していた鈴木大久さん(53歳)へのインタビュー記事。
非常に長いのだが、まさに僕がずっと言い続けてきたことと同じ内容であり、ぜひ一人でも多くの人に読んでいただきたいと思った。
そこまで時間がないというかたも多いと思うので、ごく一部をそのまま抜粋する。

// もともと、立地当時の人たちは、原発を誘致することでいろんな意味で地元に経済効果があるだろうと目論んで、受け入れたわけです。当初の未来図は、原発ができた後で、それ以外の産業がどんどん張り付いてくるだろうというものですね。
 でも、その目論見が見事に外れてしまって、原子力以外に何もないという町になってしまった。
 そこで、電源三法交付金みたいなものができた。「受け入れたんだから」っていうクレームに対して、「お金あげるから、なんとかやって」という構図になってしまったと思うんですよね。
 それでも、双葉町が財政破たんしかかって、で、原子力以外に何もないから、さらに交付金を当て込んで、原発をもう一度増やすしかないということで、7、8号機の増設を求めるというところまで行くわけです。//
 
//僕は、まず、行政は、「戻らない」という方向で動くべきだと訴えていたんですが。
 それは、もちろん、放射線量や健康被害の問題ということがまずあるけど、もうひとつ僕が言いたかったのは戦略の問題ですね。国や東電と交渉して、自分たちの主張や要求を通す上で、「戻らない」と主張することが一番強いカードになるはずだと思っていましたから。
 津波の被害だけだったら、ストレートに復興でいい。でも、われわれは、原子力災害で避難しているんだから、避難の次が必ず問題になる。その準備を始めるべきだと。 //
 
//もっと早い段階から騒いでいれば、流れは違ったかもしれない。住民も、自治体も、県も、町も、国に対して、「なんてことをしてくれたんだ。もう住めないじゃないか」という話を前面に出していれば、違った結果になったのかもしれないですけどね。 //

//町外コミュニティというのは、浪江にあったコミュニティをそのまま移動させて、まとまって再構築させようという考え方ですね。それはそれでありかもしれないと思うんですが。でも、僕は、もうひとつ、離散してもよしとしないといけないんだろうなと思っているんです。
 というのは、それぞれが自分の生活を成り立たせる条件は、みんな違うわけです。だから、「町外コミュニティをつくったから、どうぞ来てください」と言われて、そこに移って生活が成り立つ人もいるだろうけど、そうでない人もいる。
 そこでは生活が成り立たない人は、自分の求める条件に合致する場所に行っていいわけです。また、いま避難している先でそれなりに生活できるのであれば、そこに留まればいい。しかし、パートとか、非正規の仕事にしか就けていない人も多いわけです。
 そこで、そういう人たちには、自分の思うところで、思う職業に就つけるように支援をする必要があるわけです。
 そういう意味で、仕事の確立ということを中心に考えたら、離散した形もありなんだということを言いたいわけです。
 

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