報道されない「被災者格差」問題
2011-09-01


川内村で455万円(義援金一次:40万円、二次:28万円×5人で140万円、村から5万円×5人で25万円、合計205万円。東電から一次:100万円、二次30万円×5人で合計250万円。全部で455万円)

が渡っている。
双葉町では1人あたり83万円、川内村では1人あたり91万円という計算になる。

これに対して、自殺者が出た相馬市玉野地区(30km圏外で東電からの仮払金なし)ではどうなのか。

●相馬市の場合

【一次配分】
国義援金
 死亡義援金: 死亡者、行方不明者ともに、一人あたり35万円
 見舞金: 全壊・全焼=35万円/世帯、半壊・半焼=18万円/世帯

県義援金
 見舞金として一世帯あたり一律5万円

日本財団からの弔慰金・見舞金
 死亡者、行方不明者ともに一人あたり5万円

【二次配分】
 死亡・行方不明・全壊: 国56万円、県10万円(行方不明者は必要な調査完了後に振込み)
 半壊: 33万円(国28万円、県5万円)

 ……ということで、相馬市では死者や家屋の全半壊がない世帯へ渡ったのは、県義援金の見舞金一世帯あたり5万円しかない。5人家族なら一人あたり1万円だ。
相馬市玉野地区は飯舘村や福島市の霊山に隣接しており、線量は川内村中心部などよりずっと高い。
この汚染のひどかった飯舘村で酪農をしていて、住所は相馬市にあった人が自殺したことはニュースになったが、彼は妻と子供がフィリピンに逃れ、一人、自宅に戻ってきた後は、原乳出荷停止になり、毎日、搾った牛乳を捨てていた。この世帯には東電の仮払金も支払われていないから、5万円だけなのだ。

豪華リゾートホテルに避難して「飯がまずい」と文句を言っていた家族には数百万円が渡る一方で、避難先もなく、汚染された土地に残って毎日牛乳を捨てていた酪農家一家のように、30km圏外で無指定地域に住んでいた家族は、どれだけ汚染がひどくても、仕事や生活基盤を奪われて金が出ていく一方だとしても、現時点では5万円しか受け取れていない。これから農業や漁業などの被害に対する補償交渉を進めていくとしても、その前にみんな疲弊しきってつぶされてしまう。

さらに言えば、東電の二次仮払金は、家に戻ってきた時期が遅かった人には30万円支払うが、早く戻ってきた人には10万円しか支払わないとされている。

4月10日までに家に戻った人は10万円
5月10日までに家に戻った人は20万円
6月10日までに家に戻った人、まだ帰れない人には30万円

早く帰ってきた人というのは、老齢の親を抱えていたり、家畜の世話をしなければいけなかったり、消防などの公益業務に従事していた人たちが中心で、この人たちは誰もいなくなった村で自力で(自腹を切って)頑張ってきた人たちだ。
そういう人たちには少なく、避難所で毎日衣食住を世話してもらっていた人たちには多く払うというのだ。
逆ではないか。
実質、家に戻ってきていた人たちでも、仮設住宅やリゾート型避難所に申し込んで、ときどきそこに戻って無料の食事にあずかっていたり、市内のアパートを借りて「みなし仮設」(福島県の場合、月額最高8万円まで支給)に認定してもらい、別荘や事務所代わりに利用している人がたくさんいる。こうした人たちもみな「まだ家に戻っていません」ということで申請している。
そもそも、この期間、家に戻っても戻らなくても、みな本来の仕事や生活以外のことで追われて大変な日々を過ごしている。

現在、村で唯一開いている店と言ってもよいコンビニの経営者一家は、仕入れのトラックが入ってこなかった時期、郡山市内の市場で仕入れたわずかな商品を店に並べて、村に残っている人たちのために頑張った。
若旦那は、避難先の埼玉県から川内村まで今も通っている。
もちろん、動けば動くほど大赤字だが、村の中心で店を開いているという責任感からの行動だ。

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