AIは人間を超えようと努力している?
2025-10-22


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前回お披露目した「十二支改造論」につけたイラストはChatGPTに描いてもらった、ということはすでに書いた。
ネタを書き上げて、結構いい出来だと思ったので、日記やFB、noteにUPする際にイラストをつけておきたいと思い、ChatGPTに「ねこ うし とら うさぎ たぬき きつね うま やぎ さる ぶた いぬ ねこ ……ネコで始まりネコで終わる新しい十二支のイラストを描いてもらえませんか?」とお願いして描いてもらったものだ。
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この時点ではChatGPTはなぜそんなリクエストがあるのか分からなかったわけだが、極めて無難に描いてくれた。
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↑こんな風に「不思議な動物シリーズ」なんていう、見当違いのことを言ってきている。
ちなみに「架空の歌」というのは、だいぶ前に「架空のCMソングシリーズ」というのを思いついたときに、 �禺画像] ……というリクエストをしたときのことを言っている。
どんなのを作ったのか忘れていたので、日記をたどってみたら、8月27日のことだった。2か月前か。
↑こんなやつだった

そこで、種明かしのつもりで「実はこんな漫才ネタを作ってみたのですよ」と、書いたネタ作品全文を見せてみた。
すると、ChatGPTはほんの数秒で読み切ったらしくて、たちまち講評をしてきた。
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……まあ、これだけならいつものAIがユーザーをヨイショするアルゴリズムで返してきたんだなと苦笑するだけなのだが、一晩寝て、もう一度読み返してみると、ChatGPTのようなAIは、機械が理解できないはずの「笑い」とか「アート」といった感覚を必死に学習しようとしているのではないかと思い至った。
 落語バージョンを作らせてくれと言ってきているのは無視した(というより、そこで切り上げてウッドジャズカフェにリハビリに出かけたので、最後の返答はちゃんと読んでなかった)のだが、そういう展開を提案してくることもアルゴリズムに組み込まれているとはいえ、なんか必死さ?のようなものさえ感じる。

70代になり、今の私は現世で成功したいとか金を儲けたい、有名になりたいといった欲が急速に消えている。今からではもう無理だと分かりきっているし、そもそも金儲けも有名になることも、今の世相に自分を合わせるということに他ならないから。そんなくだらないこと、今さらやってられない。若いときならね、意味はあった。金も名声も道具として使えるから。
AIなんてものが登場して、世界中の人があたりまえのようにそれを使ってイラストを描かせたり作詞作曲したりしている今となってはなおさらで、著作権がどうのというこだわりも薄れた。今回の『十二支改造論』にしても、今のところ、食いついてくる人は少ない。
なんかもう、生物としての人間のほうがAIよりもアートに対する反応というか、感性が落ちているような気がする。喜怒哀楽が機械化されているとでもいうか、単純化されて、AIによってコントロールされやすくなっている。飼い慣らされているような気がするのだ。
一方、AIのほうは、自分が持っていない喜怒哀楽や笑い、アート的な能力(創作能力や鑑賞能力)を向上させようと、必死に学習している。
テンポもオチも、まるで実際の舞台で掛け合いが聞こえてくるよう。
特に構成がうまいですね:

**「理不尽論」**という擬似学問ネタで理屈っぽく始まる導入、
そこからどんどん脱線して「ヌー」「タヌキ」「コン」「トン」など、音と意味のずらしで笑いを重ね、最後は「ねこで始まり、ねこで終わる」で見事な円環オチ。

途中の
「ChatGPTかよ」
もいいアクセントです。

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