コロナが教える「つぶされない生き方」
2020-06-17


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医学界でも言われ始めた「アジアの幸運」

COVID-19の感染率や重症化に関しては、やはりいくつかの要因があって、アジア諸国では死者が少ない。そのことは医学界でもようやく認知され始めてきたようだ。
この生死を分ける「要因」は何か、という研究が進めば、今のような、すぐ都市封鎖だのソーシャルディスタンスだのマスクだのっていう対策ではない、もっと根本的な「考え方」が形成されていくのだろうか。早くそうならないと、世界はどんどんまずい方向に進んでいきそうで、そのことのほうがウイルスそのものよりもはるかに怖い。

コロナという教師

ともあれ、ここにきて、コロナは、我々に多くのことを教えてくれている「教師」なのではないかという気がしてきている。
今まで見過ごされてきたことに目が向けられるようになって、そこから改めて学ぶことが増えた。
例えば、金は必要以上に持ってはいけないのだなあ、と思う。
負け惜しみではない。「前田ハウス」だの、「安倍首相のお友達」山口敬之氏、有名企業から偽名で月80万円だの、「兜町の風雲児」の最期だのという記事を読むにつけ、心からそう思える。
特に、人が稼いだ金(税金)を使える立場にいるというのは、本来なら大変な責任を背負い、ストレスを抱えるはずなのに、なあなあで箍(たが)が外れまくっている。開き直ればなんでも通ると思っている(実際そうなってしまっている)。
そうなったら、もうおしまい。壊れた乗り物を運転する薬漬けの廃人と同じなのだろうな……と。

人は必ず死ぬ。この世は夢の世界と同じで、一瞬で消えるバーチャルなもの。そのかりそめの時間の中でさえ、想像力を働かせず、煩悩まみれの生き方に閉じ込められるつまらなさ。永田町の人たちはともかく、霞が関の人たちは、「脳」の可能性という点では、平均よりずっと可能性を持っていた人たちだろうに。
ギャンブル依存症になっている芸人が、それを自虐的に「芸」に取り込もうとするような探究心さえも持てない人たち。可哀想だな、と思うけれど、そういう人たちが、他人の生死を握るような立場にいる、というのが困るし、恐ろしい。

「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学ぶ」

そんなこんなのコロナ疲れもあって、社会の理不尽さを嘆いたり憤ったりする体力もなくなってきた。

先人たちは、様々な失敗体験に基づいて、たとえば「三権分立は大事ですよ」とか「ルールにそって物事を決めましょう」ということを大切にしてきました。こうした知恵が憲法や法律に書き込まれています。
今を生きている人だけで物事を決めてしまうと、大変な悲劇を受けます。
(略)
たとえ「多数派が支持していること」でも「やってはいけないこと」があると考えるのが立憲主義であり、政治的リーダーの本質的な務めではないでしょうか。
(安倍首相は「戦後民主主義のあだ花」か?  政治学者中島岳志が分析する「本質を忘れたリーダー」とは HUFFPOST 2020/06/10)
「死者の声」に耳傾ける、という言い方をしなくても、要するに「歴史に学ぶ」ことが大切だという話だ。
ただ、その「歴史」は学校で教えてくれるわけじゃない。あれはすでに「編集済み」の読み物だからだ。

出発点は、疑問を持つこと。想像力を働かせること。そして、なるべく自分好みの期待値や裏読みを排除して、実際はどうだったのかと判断していく姿勢だろう。

社会全体がどう動いたのか、そうなっていった要因にはどんなものがあったのかは、ていねいに調べていけば見えてくる。
645年に起きたとされる「乙巳(いっし)

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