90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(4)
2019-02-16


禺画像]

2019/01/09

入院の日


親父の大腿骨頸部骨折、明日手術のため、今日は午前中に宇都宮の病院まで運び入れなければならない。
朝起きて階下に行き、テレビをつけると、冬の恒例画面。室温が5度以下くらいになるとしばらく画面がこうなっている↑。部屋が暖まってくると自然に直るので、少しの間の我慢。
禺画像]
処置室の外で施設長と一緒に待たされる

いろいろ緊張する作業があり、なんとか病院へ。処置室には次々に救急車で老人が運び込まれてきていて、改めて超高齢社会であることを実感する。
この病院は入院病棟以外は古い建物。処置室前の待合室は4人座るといっぱいの長椅子が一つあるだけで、しかも内倒し窓が壊れていて、紐を引いても固定されず、バタンと倒れて開いてしまう。0度前後の外気がピューピュー入り込んできて寒い。紐を縛り付けてなんとか対処したが、それでも寒い。
入院手続き書では、本人と保証人が別々のハンコじゃないとダメだと言われ、拇印を押させられた。入院費を踏み倒すケースがかなりあるらしい。

次から次へと急患が運び込まれていて、整形外科の担当医もなかなか身体が空かない。
ようやく診察室に呼び込まれて説明を受ける。
大腿骨頸部骨折の手術についてはしっかり予習してきたのでスムーズに終わったが、CTを撮ったら、心臓周囲の血管の一部が石灰化していて、肺の下部には水が溜まっているという。その映像も見せてもらったが、これには驚いた。
ずっと前から時折息苦しそうにしていたのはそういうこともあったのか……。とにかく親父は苦しいとか痛いとか言わないのだよなあ。

全身麻酔がかけられるかどうか、麻酔科の医師とも相談しなければならないが、微妙かもしれないとのこと。
その後、デイルームで待機していると、麻酔科の医師がやってきていくつか質問をしながら、「多分(麻酔は)できると思います」と言って戻っていった。
整形外科の担当医(男性)も麻酔科の医師(女性)もすごく若い。二人とも20代……だと思う。これだけの激務だと、若くないとやれないなあ、とつくづく思った。
また、悩んでいても事が進まないから、サクサクと作業を進めていく決断力が必須だ。それも兼ね備えている二人を見ていて、ああ、今の日本はこういう人たちに支えられているんだなあと感じた。

入院や手術のために必要な寝間着やバスタオルやオムツをレンタル契約したり購入したり……いろいろあって、病院を出たのは3時過ぎ。朝からバナナ一本しか食べていないし、朝から緊張の連続だったので疲労困憊。
本来なら夜勤明けでこの時間はもう寝ている施設長も昼ご飯抜きでずっとつき合ってくれている。施設長のほうが何倍も辛いはずだが、笑顔を絶やさないでいてくれる。本当に感謝しかない。

施設長の車に乗せてもらって施設に戻り、施設に置いていった自分の車に乗り換え、薬局に寄って薬をもらい、スーパーで二人分の弁当(今から食う分と夜の分、計4個+α)を買い、ヘトヘトで帰宅。
ようやく本日一食目にありつき、少し寝ようと思ったら、ルーティーンワーク(生計を維持するためのお仕事)がたまっていて処理。
暗くなってからタイヤが届けられた。明日は手術でまた宇都宮まで行かねばならないので、なんとか今日中にパンクの応急処置で1本だけ夏タイヤになっているのを交換したいと思い、まっ暗な中をタイヤピットへ。
タイヤを交換して家に戻ると、病院から電話が入り、明日の手術は午後を予定していたが、急遽朝イチに変更になりました、と告げられる。8時半までに病院に入ってくれという。
うわ〜、辛いなあ。朝の渋滞にも巻き込まれそうだし……。
しかし、そうなると今タイヤを交換しておいてよかった。

北海道から送られてきた美味しいチーズに、やはりいただき物のワインで元気をつけて、明日に備えた。

2019/01/10

手術当日

禺画像]

続きを読む

[死に方]

コメント(全0件)


記事を書く
powered by ASAHIネット