禺画像]
スーパーボランティア爺さん、略して「ボラG」──尾畠春夫さんの登場で、テレビ局スタッフが色めき立つ、の図。
昨日(15日)、起きて階下に降りていくと、妻がいきなりこう言った。
「あの子、見つかったのよ」
「え? 見つかったって、無事だったの?」
「そうなの。で、見つけたのがなんかすごいキャラの人で、しばらくテレビは大変よ」
そのときは当然、状況を呑み込めなかったが、午後、テレビに登場したど派手な格好の爺さんを見て納得。なるほど、これはしばらくはテレビが追いかけ回すことになるな、と。
発見までの経緯を簡単にまとめると、
- 12日 10.30amくらい:藤本理稀くん(1歳)が、滞在中の曽祖父宅から祖父(66歳)と兄(3歳)で出発したが、途中でぐずったため、祖父は一人で戻らせた。その後、後発の母親たちとすれ違わなかったということで行方不明になったことが判明。
- 12日 11.30:山口県警柳井署が山口県周防大島町役場を通じて行方不明の通報を受ける。ただちに90人態勢で捜索開始するが見つからず。
- 13日 140人態勢に増やして朝から捜索。溜池、側溝、古井戸、空き家などに重点を置く。ヘリコプターや、体温を感知するセンサーが付いたドローンを使って上空からも捜索。ちなみにこの日が失踪児の2歳の誕生日。以後、マスコミでは「2歳児」と報じられる。
- 14日 周囲のすべての山にまで捜索範囲を広げ、数十人ずつの捜索班で捜索。しかし手がかりさえも得られず。
- 14日 9.30am頃、ボラGが大分県日出(ひじ)町の自宅を軽バンで出発。夜遅く、現地入り。すぐに失踪児の母親などに状況を訊く。その際、「私が見つけた場合は必ずしっかり抱きしめて、この手でご家族に手渡しします」と約束。母親らから聞いた話も入れて、翌朝からの捜索ルートを策定。車中泊。
- 15日 6.30am頃、ボラG、車中泊した愛車軽バンを出発。すぐに失踪児の祖父に会ったので「私が見つけた場合は必ずしっかり抱きしめて、この手でご家族に手渡しします」と昨夜、母親にしたのと同じ約束をし、山へ向かう。そのおよそ20分後、700mほど離れた山中で失踪児を発見する。
……と、こういう経過だった。
その後は、
- 15日 失踪児を抱きかかえて下山する途中で警察の捜索隊と行き会う。驚いた警官が引き渡しを求めるも「嫌です。私が直接手渡しすると約束した。口約束も契約だ。罪に問われようが、なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない」と拒否。その後、ど派手な服装の爺さんが警察の捜索隊を引き連れたまま毛布にくるまれた子どもを抱いて下山した姿を見たマスコミが大騒ぎ。
- 失踪児を母親の手に引き渡した後は、ずっとマスコミの取材攻勢に答える。
- 「家に入って、風呂に入って食事をしてください」という家族の申し出を断る。
- 15.59頃 地元柳井警察署長から感謝状を手渡される。その後、愛車に乗って一般道を運転し、大分の自宅へ。16日未明に到着。
- 16日 朝からテレビの生中継ハシゴに応える。息つく暇もなく、午前と午後のほぼすべてのワイドショーに登場。
禺画像]
発見した15日午後1時過ぎからインタビューが始まるが、名前と生年月日を書いた紙を横に掲げて映すなど、ほとんど容疑者のような失礼な扱い
禺画像]
禺画像]
15日、ボラGが現地を出ると、各局テレビクルーがボラGの自宅に先回りして留守宅を映し出すという異常さ
禺画像]
セ
記事を書く