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「避難解除等区域復興再生計画」とは何なのか?
3月19日、政府の原子力災害対策本部(本部長・安倍晋三首相)は「避難解除等区域復興再生計画」なるものを発表した。
(全容は⇒こちら)
道路や病院などの生活基盤、産業の復旧方針を示したもので、「住民や事業者が帰還を判断する材料としてもらう」(根本匠復興相)とのことだが、とりあえず1Fに近い住民や避難者たちの関心事は、これによって今までの「警戒区域」や「計画的避難区域」といった区域分けが変更されることにある。
これについて、元東電社員の吉川彰浩さんはFacebookにこう書いている。
明日というか、もはや今日だけど
福島県双葉郡浪江町津島に行ってきます。
ここは現時点では宿泊はできませんが、立ち入りの制限はありません。
いつ行ってもいいし、いつ帰ってきてもいい。
検問所もないので、普通の格好で誰でも入れちゃう区域です。
なんで行ってくるかというと、4月より帰還困難区域とされる為、自由に出入り出来なくなるから・・・
ちょうどお彼岸ですし、お墓参りも兼ねて家の大掃除に行きます。
千葉に避難している嫁の両親も一緒です。
今までは、ちょくちょくと何時でもこれたので、帰れなくなった感は薄れていました。
しかし、4月からはバリケードが張られ、指定した日に防護服を着ないと入れません。
区域の扱いは双葉町や大熊町の高線量区域と同じになります。
もう帰れないかもしれない・・・・口には出さないけど両親も感じています。
それに今まで幾度となく出入りしていたのに・・・安全ではなかったということかと
またも裏切られた気持ちになっています。
納得がいかないのですよ。帰れるような雰囲気を出していて・・・・結局後4年は絶対解除しない。
それでもって今日も含め気軽に入れるようにしておいて、今後は入れないようにする。
私も両親も何回も行っています。一度もスクリーニングをしていません。
当然どれだけ被ばくしたかも分かりません。
そこの責任は何処にあるの?自己責任ってやつですか
簡単にまとめると
明日行く津島は双葉大熊の高線量区域と一緒ですが3月中は誰でも入れます。
スクリーニングはやりません。てかありません。
私の住んでいた1Fから数キロのアパートは低線量区域ですが決められた日にしか入ることはできません。スクリーニングも受けます。
これは同じ浪江町内の話です。
4月からは
津島地区は決められた日しか入れません。スクリーニングをやります。
私のアパートの地区は何時でも入れます。スクリーニングをやります。
ほぼ逆転の現象が起きます。
このやり方は誰でも「おかしい」と思いませんか?
震災から2年経った今のお話です。
被災者の受難は続きます。これは私の例ですが、津島地区の何千人の方が同じ思いをされています。
原発避難の問題はまだまだ現在進行中です。
上の話、福島の土地勘がないかたのために少し解説を加えると……、
津島というのは、ジャニーズの子たちが農作業や酪農を体験する番組『ダッシュ村』があったところ。
浪江町というのは東西に細長い地形で、東端は太平洋に面し、西端は1Fから30km圏外にまで伸びている。で、津島は西の外れあたりにあって30km圏外。2011年3月の時点では何の避難指示も出ていなかった。
僕は2011年5月25日、獏原人村のマサイさん、自然山通信のニシマキさん、きのこ里山の会の小塚さんらと一緒に、この津島を通って飯舘村←→川内村を往復した。途中、線量計が30μSv/hを超える数値を示す場所もあった。
りました。
(詳細は
⇒表日記を参照してください)