フクシマは福島の問題ではない(2)
2013-02-12


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これなら巨大防潮堤よりはるかに少ない予算でできる。防潮堤建設の予算を考えれば、沿岸住民、自治体に国が無償供給してもたっぷりお釣りがくる。
そういう緊急時漂流用カプセルのアイデアや技術開発によるビジネスも生まれるし、海外輸出もできる。
失われた命は戻らないが、流された建造物や資産は時間と共に取り戻せる。であれば、「津波を防ぐのではなく、いちばん大切なものを津波から守る」ことができればいい。
巨大防潮堤を建設すれば、それだけで大きなものを失う。景観や自然環境、暮らしやすさ、自然との共生という文化……そうしたものを失うに値するだけの価値があるのか?
漂流カプセルなら、何も失うものはない。
こんなことくらい、ちょっと考えれば誰でも分かるだろう。

簡単なことをやらないで、バカなことを推し進める背景は、結局「利権」なのだ。
相沢議員もインタビュー記事の中で語っている。

まったく同じ構図が「除染ビジネス」にもある。
森の除染など、誰もできると思っていない。また、本当に除染が必要な場所よりも、緊急性の薄い場所に莫大な金が注ぎ込まれ、費用対効果が極めて低い。中にはやらないほうがよほどいいような「除染」もある。そういうものが一緒くたに国からの金で推し進められている。
これも巨大防潮堤と同じで、「受け入れたほうが金が流れ込む」という地元の思惑と連動している。

合理性のない金の使い方は許さない、という国民の意識が低いから、「親方日の丸」意識が長い間続き、デタラメな税金の使い方であっても異を唱えなくなってしまった。
どうせデタラメな金なら、少しでも自分たちの生活が潤う方向に使わせよう、という「ぶら下がり根性」が染みつく。
それを仕切る地元の顔役が地方議員をやり、利権誘導がうまい人間、あるいは利権誘導によって動かされやすい人間が首長になる。
そういう構図で生まれた「地方経済」は自立性がないから、上からの金が途絶えれば簡単に崩壊する。それが怖くて、ますますぶら下がり体質が強化され、そこに身を寄せる地域住民には暗黙のタブー意識、結束、自由な発言や行動を封じて小さくまとまろうとする村意識が芽生え、強化される。

「フクシマ」を生んだ要因にはこうした構図がある。
原発立地では、このぶら下がり体質がものすごく強い。「フクシマ」以後、目が醒めて自立への道を歩み始めるかと思えば、逆に、ますますこの体質が強まってしまった。
「東北復興」の中でも、「福島の問題」は特にやっかいだ。

都会の人たちにお願いしたい。
「フクシマ」は、自分たちから遠い田舎で起きた地域的な問題ではない。
ましてや、原発の問題は「エネルギー問題」ではない。
東北が大変だから、困っているからお金を出してあげなければ……とか、原発をなくすには代替エネルギーを考えなくては……などという問題ではまったくないのだ。
今、福島をはじめ、東北には莫大な金(もとをただせば税金)が流れ込んでいて、その金の使われ方は合理性を欠いている。そこに問題の根源がある。

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