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しかし、こうした懸念が現実になったとしても、莫大な金を投じて巨大なコンクリートの防潮堤を張りめぐらすなどという計画よりはるかにマシではないか。
仮に宮脇提言に多少の弱点があったとしても、それがコンクリートの大防潮堤建設推進を正当化する理由にはまったくならない。
相沢氏も言う。
- 森を作るわけで、上に家を立てたり道路を造るわけではない。
- これから、太平洋沿岸、九州の方まで大堤防の建設が進んでいく。100年に1度の津波だとしても、99年はその高い塀の中で暮らさなければならない。
- それだけ犠牲を払っても、100年に1度の津波を抑えられる保証はない。東海、南海地震の津波は30メートルという予測なのだから。
- そもそも自然の脅威に対して人工物で対応するということ自体、無理がある。
- コンクリートは経年変化する。森は放っておいても更新する。自然には自然で対応するのが本当の知恵。
- 海はときに災害をもたらすが、普段は「豊穣の海」であり、人間の暮らしに恵みを与えてくれる存在。海を拒むのではなく、海と折り合いを付けて生活していく工夫をするのが当然のこと。
……まったく同感だ。
巨大堤防は凶器にもなりえる。
東日本大震災のとき、逃げ遅れて大津波にのみこまれた人たちの中には
「堤防のために逃げ遅れて命を落とした」人たちもいた。
10メートルの大堤防の向こう側は見えない。津波が10メートルの堤防を乗り越えてくるまで、
迫る津波が見えなかったのだ。
実際に大槌町ですんでのところで助かった人はこう言っている。
「堤防の内側にいると、海は見えないじゃない。住宅が多い町の方でもそう。だから、震災があった時に、近くにいた人は津波が来ることが分からなかったんじゃないかな。堤防の上を漁船が越えるのを見て気付いた人もいるって聞いたしね。堤防が透明だったら、どれだけの人が助かったんだろうって思う」
(「津波のことは、不思議と思いもしなかった」大槌みらい新聞 配信=2013/01/31記事=田淵 浩平)
地元の人たちは、実際に3.11の大津波で堤防の無力を体験したこともあり、堤防建設に対しては概して懐疑的だ。
しかし、「本音は反対だが復興が人質にとられているから口を閉ざしている」という。
(特集ワイド:東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民 毎日新聞 2013年02月06日 東京夕刊)
「復興が人質にとられている」とはどういう意味か?
「防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえない」
「海辺を利用してきた沿岸部住民で本音で賛成している人はいないだろう」(毎日新聞特集記事より)
つまり、地元の人たちは巨大防潮堤の建設には賛成できないが、それを呑まなければ、破壊されたインフラや産業基盤の復興への予算も削られるので、呑まざるを得ない、というのだ。
こんなバカな金の使い方が許されるだろうか。
最終的な目的は、津波から人命を守ることであって、津波を食い止めることではない。
津波が来たときに命を落とさないようにすればいいのだ。
例えば、沿岸の民家、建物には、津波に呑み込まれても溺れないための「漂流カプセル」を備えればよい。
完全防水、その中に横たわればたとえ波にさらわれても呼吸が確保でき、数日間は命を守れる飲料水と栄養物を備えたカプセル。
車には、圧縮空気で瞬時に膨らむ簡易型漂流カプセルを積んでおく。消火栓のように、地域のあちこちにこうした救命用漂流カプセルを常備しておく。