現実主義のリベラル、理想主義の保守
2011-08-09


9月、10月に出るはずの本の原稿書きと校正戻しが重なっていて、しばらくWEBには書いていなかった。

さて、本日(2011年8月9日)の日経ビジネスに、池上彰と加藤陽子の対談が掲載されている

原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?
加藤陽子・東京大学文学部教授に聞く【第1回】


……というもの。
内容はすべてもっともなのだが、それだけに、今頃こういう正論を読んでも……という虚しさがある。
ただ、忘れられがちなポイントをいくつか指摘しているので、その中のひとつを抜き出してみたい。
(※対談なので、原文は会話の「ですます調」で書かれているが、「ですます」は刈り取って転載)

池上:
2005年にインドネシアを震源とする大震災と大津波があった。あのとき救援や復旧活動のために、自衛隊が派遣されたが、陸上自衛隊に配備されているヘリコプターを海上自衛隊の護衛艦に載せて運ぼうとしたら、船に載らない。陸上自衛隊のヘリコプターは、プロペラを折り畳めないタイプ。艦載するには折り畳めるタイプでなければダメで、結局、陸自のヘリを改造するまで出艦できなかった。つまり、いざというときにすぐに役に立たないムダな投資をしていたことになる。でも、「いざ」が来るまで誰も指摘しなかった。 ---------------(略)----------------

加藤:
(原発)反対派の論じ方にも問題があったと思う。現実的な反対論というのは、本当に難しい。すぐに「絶対反対」の理想論に走り、神学論争を仕掛けてしまう。すると、先ほど池上さんがお話しされた自衛隊のヘリコプター問題のような「現実」がないがしろにされてしまう。今の原発だって、止めるにしろ続けるにしろ、「原発が実際にある」という「現実」を見据えないと、対応はできない。廃炉に至るまでの工程では、まさに原子炉工学の粋が必要になってくる。専門家と技術者と運営主体は今後も欠かせない。(そこを無視すると、ただの)理想を掲げた反対運動に殉じてしまう。これでは「現実」は動かない。
 個人的にはリベラルや左派こそ、オタクと称されるほどに、軍事や科学や技術に通暁してほしい。リベラルによる現実主義、保守による理想主義。この、あまり見かけない、たすき掛けの組合せを追求したい。

※文体を「である」に統一変更。( )部分はこちらで補足した。
原文は⇒こちら 

自衛隊の装備の話は、実は『裸のフクシマ』にも少し書いた。
日航機墜落事故のとき、本州のど真ん中に落ちた巨大な飛行機を、夜明けまで見つけられなかった。このときの新聞報道でびっくりしたのは、「いちばん明るいサーチライトを搭載したヘリは東京消防庁にあり、自衛隊のヘリはそこまで明るいサーチライトを搭載していない」という記述だった。
なんじゃそりゃ? と呆れ返った。
自衛隊の装備に注ぎ込まれる金(税金)は、東京消防庁の装備に注ぎ込まれる金とは桁がいくつも違う。国民としては、当然、国内最高の性能を持った装備があると思うが、そうではなかったわけだ。
島国日本では絶対に活躍しようがない戦車などという装備にもとんでもない金をかけている。
陸自のヘリが海自の船に乗せられないのであれば、戦車の海外輸送もできないのかもしれない。そもそも他国を武力威圧してはいけないと憲法で定められているのだから、自衛隊の戦車は日本国内で使うということになるが、その砲を向ける相手は誰なのか? 日本国民しかいない。


続きを読む

[出版情報]
[原発]

コメント(全0件)


記事を書く
powered by ASAHIネット