そして私も石になった(18)緩やかな集団自殺?
2022-02-14


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緩やかな集団自殺?


 ここまできて、俺はもはやいちいち反論する気力も理由も失っていた。
 ただただ虚しさを感じるだけだ。
 黙り込んだ俺を哀れに思ったのか、Nはこう言った。

<そんなに落ち込むことはないよ。
 人が人を殺すという歴史は太古の昔から今まで、延々と続いてきた。今に始まったことじゃない。
 この計画には、殺す側と殺される側の関係が見えてこないという巧妙な仕組みがある。
 ウイルスやワクチンが引き金となって、何年か後に心臓麻痺や癌や脳卒中や免疫不全症候群で死んだとしても、自分が殺されたとは思わない。周囲で死んでいく者たちを見送るときも、病気で死んだ、寿命で死んだ、そういう運命だったと思うだろう。
 ワクチンを打った医者や看護師も、自分たちがそういう計画に使われたとは思わないから、罪の意識や後悔を感じることはない。むしろ自分は人の命を救うという職務を果たしたと信じる。その結果がこうなら仕方がないと思える。
 計画が進んで、多くの人が死んでいくとしても、爆弾を落とされたり、ガス室に送られたりして殺されるよりは抵抗や恐怖を感じない死に方だ。「病死」なのだから。
 いっぺんに死ぬ人数の多い少ないが問題なんじゃない。死ぬのは一人一人なんだからね。
 大量に病死する中に自分が入っていたら不幸だとか、そういうことにはならないだろう?
 人が死ぬことは避けられない。死はあくまでもひとりひとり……「個人」の問題だ。
 きみ自身にとっても、自分の死は、社会の問題ではなく、個人の問題なんじゃないか?
 苦痛や恐怖を味合わずに、どれだけ楽に死ねるか……それは大問題だよね。自分の問題なんだから。
 でも、他人の死に感情を移入しても、無力感を味わうだけだ>

「あんたは何を言っているんだ? そういう問題じゃないだろうが!>
 俺は初めてNに怒りを覚えた。

「人間は一人では生きていけない生き物なんだよ。感情というものもある。クラゲやキノコとは違う。
 他人の人生との関わり合いの中に幸福や不幸を感じる生き物だ。社会の中での自分の役割を感じることで、生きる気力も生まれる。ただ生まれて、楽に食べて、寝て、娯楽を消費して、苦痛なく死ねればいいとか、そういうものじゃない」
 うまく言えなかったが、そこまでを一気に吐き出した。

<うん。分かっているよ。すべて分かっているつもりだよ。
 言い方がまずかったね。

 きみは今、人間は社会の中でしか生きていけないし、感情も持っている生き物だと言ったね。
 まさにそうなんだが、だからこそ、個人がどんなに自分にとっての理想を描いても、世界を変えることはできない。動いていく社会の中で生きるしかない。
 効率的に人口を削減させるために、ウイルスやワクチンを使って、抵抗されるどころか自ら死を選ばせるような詐欺的な手法で人を殺していく計画なんて、きみにとってはとんでもない、許しがたいことだ。同じように、そんなことは絶対に許せない、あってはならない、間違っていると思う人間はたくさんいる。
 しかし、そう思っている人間が大多数であるにもかかわらず、人間の集合体である社会は大量死の方向に動いていく。
 何かおかしいんじゃないかと感じても、結局は流されてしまう。自分にとって都合のいい「常識」に従い、これでいいんだと言いきかせてしまう>

「これだけ多くの人間がいて、優秀な人間もいっぱいいて、その一人一人が真面目な生き方をしていても、そうした力は反映されないのか? 一度社会が動き始めたら誰にも止められないというのか?」

<多分、無理だろうね。歴史がそう言っている。戦争や虐殺という、はっきり目に見える手段でさえ、誰も止められず、何度も繰り返され、人間というのはそういうものだという認識がひとつの「常識」として共有されている。

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