そして私も石になった(7)エゼキエル書を読み解く
2022-02-14


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エゼキエル書を読み解く


「アダムは個人の名前ではない?」

 俺は訊き返した。

<そう。単数か複数かはあまり関係がない。創世記の第二章から四章までを無視すれば、「神」がアダムという生命体をつくった、ということだけが書かれているんだよ。
 神は自分の姿、つまり自分の肉体に近い生命体をつくりたかった。まったくゼロからつくり出すことはできないので、すでに存在する生物種を改造してつくった。アダムやセツという名前は、その実験結果に生まれた生物第1号、第2号といった意味しかない。
 何百歳まで生きたとか、何年目で子供を産んだというのは、つくり出したその生物種の寿命や、子孫を残せるかという、つまり増やしていけるかということが重要だから書いている。つまり、まだ実験段階だったのさ>

「ということは、その『神』というのは宇宙人みたいなものか?」

<そうだね。きみたちのイメージではそれで間違っていない。きみたち人類よりもはるかに高度な知識や技術を持った生物だ。
 そのことをはっきりと記録しているのが聖書の中の「エゼキエル書」だね。読んだことはあるかい?>

「エゼキエル……聞いたことはあるけれど、読んだことはないな。どんな内容なんだ?」

<とても面白い内容だよ。
 ある日、川の畔にいたエゼキエル司祭のもとに、空から閃光を放ちながら、燃え上がる雲のような物体が飛んできて着陸したというところから始まる。
 その「物体」の形や動きを、エゼキエルは詳細に記している。その描写を先入観なしで現代人が読めば、彼の目の前に現れたものがどんなものかはすぐに想像できるはずだよ>

「どんなものだったんだ?」

<じゃあ、少し長くなるけれど……>

 そう言うと、Nはエゼキエル書の一部を俺の頭の中に再現させた。

雲の中は磨き上げた金属のように輝いていた。
そのさらに中心部には、四つの生物のようなものが見えた。
その生物は人間にも似ていた。
ただし、おのおのの生物には四つの顔と四つの翼がついている。
脚はまっすぐで、先は仔牛の蹄のようであり、青銅のように光っていた。
四つの翼の下には、人間の手のようなものがついていた。
四つの生物は背中合わせになっており、翼の先端が触れあっている。
四つの生物は離れずに各方向に移動するその際も、身体の向きは変わらない
四つの生物はそれぞれ正面に人間の顔を持ち、右側にはライオンの顔、左側には牛の顔、背中側には鷲の顔を持っていた。
それぞれが二枚の翼をひろげ、それは隣り合った生物の翼と接している。
残りの二枚の翼は、胴体にそって畳まれている。
四つの生物はどの方向に移動するにも一緒で、身体の向きを変えることもない。なぜなら、どれもがまっすぐ前を向いているからだ。
生物は熱した石炭のように輝き内部では強烈なたいまつの火のようなものがピストンのように動いているのが見えた。
その炎は燃え上がるたびに閃光を放った
生物たちも、火の粉のようにすばやく動いた。
そのとき、私はこの四つの生き物の横に、地面に接するように車輪がついていることに気がついた。
車輪は、宝石のように輝いていた。
個々の車輪はまったく同じもので、中部にはさらに別の車輪が組み込まれていた
そのため、生物はどの方向にも、向きを変えることなく移動できるのだった。
車輪のリム部分は大きく、周囲にはたくさんの目がついていた
生物は車輪を自由に制御し、自在に動くことができた。生物が動く方向に車輪も動き、生物が止まれば車輪も止まる
生物が空を飛ぶと、車輪もまた一緒に浮き上がる
生物の上方には、氷のように光り輝くドーム状のものがあった。

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