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結果、今までは爆発的な感染拡大から免れてきた東アジア諸国も、デルタ株ではそうした幸運は期待できない。
……ということだ。
現状を見る限り、これだけの感染者がいるのに死者は急激に増えていないので、あとはもう、治療体制をしっかり組んでいくしかない。その部分の劇的な改善・改革が必要だが、妨げているのは厚労省と無能な政府。この国の根本的な弱点に巣くう問題だから、すぐには対応できない。
となれば、個人でできる範囲で防衛していくしかない。
では、
何を根拠にして防衛策を練ればいいのか?
このウイルスについては、当初から医療現場でさえ正反対の意見がぶつかり合ってきて、今もそれは変わらない。
初期の頃はPCR検査を増やす増やさない論争、今はイベルメクチンを巡る論争などがその代表例だ。
どの情報、主張を信じればいいのか?
その判断ができなければ、同調圧力には最終的に負けてしまうだろうし、「個人の防衛策」も間違った方向にいきかねない。
私の判断基準の一つは、
意見や主張の裏に利害関係や保身本能が存在していないか、ということ。
もっと踏み込んで言えば、学術会議的な「業界」に身を置き、役所や製薬会社との結びつきの上で、誰かの論文を根拠にして、したり顔で「エビデンスが……」などと発言している人の主張より、
現場で毎日患者を診ている医師たちの生の言葉や感覚を信じたい。
その医師たちの意見も真っ向から対立しているわけだが、最後は「顔」かな。
頭のよさと真剣さを感じられる顔。しかし「真剣」といっても、ファナティックに偏向しているような「熱意」は除外。
問題が長引いてきた今、対立する医師たちも、両極端に寄っていきがちだと感じる。
メディアはその両方を視聴者や読者の食いつき狙いで取り上げ、露出させる。
SNSではその対立がさらに過激化していく。やっかいだから、極力関わりたくない、言葉を発したくない、という自己防衛本能が働いてしまう。
2年半以上経過した今、錯綜する情報や政府の無策、扇情的な報道に疲れ果てながらも、私が、多分こうなんだろうなと思うのは……、
- 1)感染者は発表されている数よりはるかに多い
- 2)デルタ株の感染力は凄まじいが、致死率は従来株とさほど変わらないのではないか(死者/感染者数の分母が怪しいので、ちゃんとした分母を入れればかなり低くなるのでは?)
- 3)要するに「タチが悪く、怖いインフルエンザ」的なものが、これからずっと自分を取り巻いている社会に生きていかなければならない
最重要なのは、
被害を最小限に抑えるシステム作りだ。具体的には、軽症のうちに素早く手当てできる体制を早急に、しっかり構築していくこと。ワクチン騒動はこれからずっと続くだろうから、治療薬の開発をしつつ、当面は限られた医療資源の中で、重症化率、死亡率を減らすために既知の薬の適用方針も明確にしていく。その過程では情報を完全公開し、企業や政府の邪念やメンツが入り込まないようにする。
それができない国では、今後も一定数の人は重症化し、死んでいくだろう。
残念ながら、日本では当面できそうにないので、自己防衛しながら生活環境を破綻させないようにするしかない。
まあ、半年後にはまたずいぶん様相が変わっているのだろう。
自分自身はいつ死んでもいいかな、とは思っているが、苦しいのは嫌だ。「地上で溺れているような苦しさが長く続く」なんて言われると、ゾッとする。
まあ、自分の最後がどうなるかは、いくら冷静に考えようとしても、分からないもんなあ……。
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