父のネット葬 2019/03/11
2019-03-19


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3.11が命日に

2019年3月11日 月曜日。
朝、デイホームの施設長から電話。ベッドの中で電話に出た。
「訪問看護師さんを呼びました。お父様、肩で息をしているので……」
「分かりました。今から行きます」

いよいよ……かな、と、ここ数日は毎日、親父の様子を見るたびに覚悟はしていた。
前々日の土曜日は施設でのウクレレ教室(ボランティアで毎月行っている)の日だったが、親父ももう意識朦朧としていてウクレレもなにもないだろうし、スタッフにしても状態が悪くなった親父や義母の介護でウクレレどころじゃないだろうし……ということで、一旦は施設に電話して断った。
施設長が出て「分かりました」と答えたが、その後、「お父様、今日は息子さんがウクレレ教室で来るので、すでに車椅子に移って待ってますよ。最後に演奏聞かせられたらよかったのに」と言う。
ええ〜。それじゃあ、行かないわけにいかないじゃん……というわけで、EWIとウクレレを持って出かけ、『MISTY』、『枯葉』、『上を向いて歩こう』などをEWIで吹いた。
親父は何も言わなかったが、演奏が終わった後、拍手の代わりにそっと両手を合わせた。
スタッフのシバニャン(施設長の娘さん)から「拝むんじゃなくて拍手でしょ」と言われていたが、今思えば、あれは精一杯の意思表示だったのだろう。
あのとき行って演奏してきてよかったな、と思いながら、施設に向かう。
でもこのときはまだ、これから先があるだろう、少なくとも今日ということはないだろうと思っていた。

施設に着いて、親父の部屋を覗くと、早い間隔での喘鳴。想像していたより切迫していた。
そこに看護師さんが到着。体温、呼吸数、心音、肺の音、血圧などを測る。
このままもうよくなることはないだろうということは分かった。それでもまだ、「今日はまだないだろう」という気がしていた。
こういう状態でも耳は聞こえていることが多い、というので、部屋にあったラジカセに、持ってきたCD『So Far Away たくき よしみつ Songbook1』を入れて再生する。
1曲目の「流れてしまった時は戻せないし 変わってしまった心も隠せない……」という出だしの歌詞が、作った40年前とはまったく違う意味を持って頭に入ってくる。
その後、隣の部屋で看護師さん、施設長と僕の3人で、これからのことを話し合う。
このまま「見守る」ことの最終的な確認、とでもいうか……。
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看護師さんが最後に書いた連絡メモ

それが終わって、看護師さんが「では、一旦戻ります」ということで、玄関を出る前にもう一度部屋を覗くと「あ……止まってる?」と言った。
まさに息を引き取る瞬間だった。
僕は脈を確認されている親父をただ見守るだけだった。
部屋にはCDの11曲目『Orca's Song』が流れている。

Set me free, rushing waters fall fast away.
Go with me to a deep blue world way beyond.

All the unhappy ones go rushing by,
far and so far away they'll go.
Can you hear me cry, see my eyes,
feel my hands, and share all my heartache?
Let me go, please I only want to go.

(Orca's Song より)

ああ、なんというタイミングなんだろう。この歌は、こういうことだったのか……と思った。

辛かったこと、悲しかったことはすべて、はるか遠くへ押し流されていく
あなたには私のこの叫びが聞こえますか? 私の目が見えますか?
私の両手を感じ取れますか? この心の痛みを分かち合ってくれますか?
さあ、もう行かせてくれ  私はもう旅立ちたいんだ

本当に、僕がそう歌っているのを聴きながら、親父は旅立った。

……なんだかあまりにできすぎていて、嘘みたいだ。

すぐには「死」を実感できなかった。呼吸が楽になってスヤスヤ寝はじめたように見えてしまう。

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[死に方]

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