みんなが気づいていない女子マラソン代表選考疑惑裏の裏
2016-03-19


去年の世陸女子マラソンはスローペースで始まった。これはスピードとスタミナに勝るアフリカ勢の「最後で一気にペースを上げて勝負」という作戦に他の選手がまんまとはまった形。案の定、30kmを過ぎてからアフリカ勢が一気にスパートしてからは、日本選手は誰もついていけなかった。この展開は今まで何度もあったのに、また同じことを繰り返したのだ。
優勝のディババ(エチオピア)と7位の伊藤舞とのタイム差は2分13秒もあった。この2分13秒差は、ディババが33kmあたりでペースを上げてから10km足らずでついたもので、終盤、日本選手はまったく勝負ができなかった。
ちなみに、2011年の世界陸上テグ大会では、赤羽有紀子選手が日本人最高の5位入賞で、このときの優勝者とのタイム差は1分15秒だった。しかも、最後は粘って追い上げての1分15秒差。しかし、このときは「内定」の基準が「メダル」だったため、赤羽選手はその後の選考レースにも出場して日本人1位になれず、代表から漏れた。
それなのに、今回はズルズル引き離されて2分13秒の差をつけられた7位で即内定なのだ。
伊藤選手は他の日本選手が脱落するのを確認して、前を追ってつぶれるよりは五輪代表内定の「8位以内」を確実に狙った走りをしたともとれる。
そういう「優勝争いには挑まず、日本人トップと全体8位以内だけを狙う走り」をさせたのも、陸連が「8位位内なら五輪代表内定」というユルユルの規定を作ったからだ。伊藤選手は戦略的にそれをしっかり守っただけで、彼女には何の非もない。

直前の世陸でもメダルをとっていた日本女子マラソン

ここで、世界陸上女子長距離での輝かしい歴史を振り返ってみたい。
以下は、世界陸上の女子マラソンにおける日本人選手の成績と1万メートルでの成績一覧だ。オリンピック前年の世陸は五輪代表選考をかねていたから、翌年のオリンピック女子マラソンでの日本人選手の成績(●の行)も併記した。

1991年・東京    山下佐知子(銀メダル)★⇒翌1992年バルセロナ五輪で4位、有森裕子(4位・1分15秒差)★⇒翌バルセロナ五輪で銀メダル
 ●1992年バルセロナ五輪 代表:山下佐知子(4位)、小鴨由水(29位)、有森裕子(銀)
1993年・シュツットガルド   浅利純子(金メダル)、安部友恵(銅メダル)
1995年・イエテボリ なし//鈴木博美が1万メートルで8位(鈴木は翌年1月の選考会レース大阪国際女子で優勝のドーレと23秒差の2位、2時間26分27秒だったが代表漏れ)
 ●1996年アトランタ五輪 代表:浅利純子(17位)、真木和(12位)、有森裕子(銅)
1997年・アテネ  鈴木博美(金メダル)//千葉真子は1万メートルで銅メダル
1999年・セビリア  市橋有里(銀メダル)★⇒翌2000年シドニー五輪で15位(日本代表選手中では最下位)、小幡佳代子(8位)//弘山晴美、高橋千恵美が1万メートルで4位、5位
 ●2000年シドニー五輪 代表:市橋有里(15位)、山口衛里(7位)、高橋尚子(金)
2001年・エドモントン 土佐礼子(銀メダル)渋井陽子(4位)
2003年・パリ  野口みずき(銀メダル)★⇒翌2004年アテネ五輪で金メダル、千葉真子(銅メダル)、坂本直子(4位)
 ●2004年アテネ五輪 代表:野口みずき(金)、土佐礼子(5位)、坂本直子(7位)
2005年・ヘルシンキ  原裕美子(6位・3分23秒差)、弘山晴美(8位)
2007年・大坂 土佐礼子(銅メダル)★⇒翌2008年北京五輪では25kmで棄権、嶋原清子(6位)
 ●2008年北京五輪 代表:中村友梨香(13位)、土佐礼子(途中棄権)、野口みずき(故障で出場辞退)
2009年・ベルリン  尾崎好美(銀メダル)、加納由理(7位)//中村友梨香が1万メートルで7位
2011年・テグ  赤羽有紀子(5位・1分15秒差)☆⇒五輪代表にはなれず
 ●2012年ロンドン五輪 代表:尾崎好美(19位)、重友梨佐(79位)、木崎良子(16位)

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