「除染」は幻想を捨てることから始まる
2011-09-26


例えば、何十年もかけてその地区で信用を得て生徒数を増やしてきた学習塾などは、他の場所に移転しても同じ事業をすぐに始めることは不可能だ。温泉宿とかプロパンガス配給、新聞配達店など、その場所でしか営めない事業はたくさんある。
そうした個別の対応は到底不可能だと分かっているからこそ、国は「除染をして戻りましょう」と言っているのではないか。
出ていく決断をした人たちが、「効果が薄い除染などに税金を注ぎ込むくらいなら、移転費用として補償金を出せ」と考えるのは当然のことだ。

あまりにも問題は深刻かつ複雑。本気で検討し始めたらとんでもない金額の話になってしまうし、福島県が消滅しかねない。
その結果と言うべきか、現時点では、都市部の住民に対する補償はほとんどされていない。話題にすることも避けられている印象がある。
このまま「除染」だけが公共事業として進められると、本来、賠償を受けるべき住民たちの財産は踏み倒されたまま、税金が新たなビジネスに注ぎ込まれて、そこで儲ける者が出現するだけということになりかねない。

空間線量というのは、現時点では地表や建造物、植物などに付着したセシウムから出ているガンマ線(正確にはセシウムはベータ線を出して放射性バリウムになり、その放射性バリウムがガンマ線を出して安定バリウムに変わる。その過程で放射されるガンマ線)の数値がほとんどだ。排水溝などで飛び抜けて高い数値が出るという場合は、たいていはベータ線も一緒に計っている。ベータ線は空気中ではせいぜい1メートル程度しか飛ばないので、地表から1メートルの高さで測っている場合はベータ線の影響はほとんど数値に出ない。
これらを外部被曝した場合のことを指して、一部の「専門家」は、安全だ、まったく問題ない、と主張している。
外部被曝だけであれば実際そうかもしれない(そうではないかもしれないが)。
だからこそ、空間線量だけの議論に持ち込まれてはいけないのだ。
問題は放射線を出している物質を体内に取り込んでしまい、体内で被曝し続ける内部被曝。中でもいちばん恐ろしいのはプルトニウムを吸い込んで肺に付着させることだが、プルトニウムが本当に拡散していないのかどうか、信用できそうなデータがなかなか出てこない。このことのほうが問題だ。プルトニウムの検出には高価な機器と手間(長い検査時間)を要するからだが、まずはこれに金を注ぎ込んで徹底した調査をしなければ、どれだけの危険が存在しているのか分からない。
食品の検査態勢がまったく手薄であることも明白で、検査態勢強化のために金を惜しんではならない。
優先順位をつけるとしたら、そっちではないか。
もし、微量であってもプルトニウムやストロンチウムが広範囲に飛び散っているということが分かったら、それらを体内に取り込んで内部被曝するかどうかは、くじ引きのようなものになる。ほとんど防ぎようがない。空間線量が高い場所では放射性物質が多いわけだから取り込んでしまう確率も高くなるが、低いから安全だということにはならない。量の問題以前に、取り込むか取り込まないか、○か×かという問題になってくるからだ。
土やアスファルト、コンクリートの表面を剥いで移動させたりする作業をすれば、何かに付着して動きを止めていたプルトニウムをまた空中に舞い上がらせ、それを吸い込む危険性も増すだろう。
プルトニウムはアルファ線を、ストロンチウムはベータ線を出すが、これらは例の「ホールボディカウンター」でも検出できない。つまり、セシウムよりずっと危険な核種を体内に取り込んでしまっているかどうか、知る術がない。
となれば、それが原因で死んだとしても証明ができない。
何から何まで分からないのであれば、内部被曝の確率を下げるためには、もうもうと粉塵を巻き上げながら道路の表面を大規模に剥がし始めた福島になど暮らしたくない。ひたすら福島から遠くで生活するしかない、という結論に達する。

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