20ミリシーベルト論争の虚しさ
2011-04-30


禺画像]
その内側は500ミリシーベルト、その内側は1シーベルト(=1000ミリシーベルト=100万マイクロシーベルト)ですが、このエリアにも双葉町や浪江町が含まれています。
ひと月ちょっとで(実際には3月15日からの数日が決定的)、すでに20ミリシーベルトなどという数値はとっくに超えているわけですが、注意してほしいのは、この値は甲状腺に溜まったヨウ素による内部被曝のみをシミュレートしたものであり、セシウムやストロンチウムは含まれていませんし、外部被曝の数値も加わっていません。実際には、外からの被曝やセシウムからの被曝も相当量加わりますから、この数値よりずっと高い被曝を受けてしまったということなのです。
また、スポット的に飯舘村や浪江町、葛尾村の一部が突出して高い汚染を受けたことははっきり分かっていますから、そうした場所での数値はこの数値より一桁違うでしょう。
最初の段階で飯舘村、浪江町、葛尾村、南相馬市、川俣町に避難命令を出していれば、どれだけの人が被曝から逃れられただろうと思うと、返す返す残念でなりません。北西方面の人たちが被曝することを分かっていながら、国や県はなんの警告も発しなかったのです。これは未必の故意による殺人に等しい犯罪行為です。

こうした現実を前にして、今になっての年間20ミリシーベルト論争が非常に空しく聞こえるのは私だけではないでしょう。

これを書いている現在、福島のテレビでは、地上波放送の画面にL字型の情報枠を設けて、県内の放射線量を刻々と知らせています。
[LINK] (禺画像])
例えば、郡山市合同庁舎前の昨日(4月29日)の計測値は、

4月29日17:00 1.63
4月29日16:00 1.56
4月29日15:00 1.57
4月29日14:00 1.48
4月29日13:00 1.52
4月29日12:00 1.53
4月29日11:00 1.50
4月29日10:00 1.58
4月29日 9:00 1.54
4月29日 8:00 1.55
4月29日 7:00 1.54
4月29日 6:00 1.52
4月29日 5:00 1.63
4月29日 4:00 1.54
4月29日 3:00 1.55
4月29日 2:00 1.56
4月29日 1:00 1.56
4月29日 0:00 1.58

……となっています。
3月13日 13:00 には 0.06μSv/hでした。
急変したのは3月15日で、

3月15日 14:30 4.14
3月15日 13:00 0.06

↑……と、いきなり上がっています。
それからはずっと2〜3μSv/h台を記録し続け、4月9日くらいからようやく2をぎりぎり切るくらいになり、現在に至っています。
郡山市合同庁舎前にずっと立っていれば、3月15日から現在(4月30日)までの47日間、ざっと2μSv/h被曝し続けていると考えられますが、この期間だけですでに 2×24×47=2256μSv/h 2ミリシーベルト以上になります。
これは外部被曝だけですから、実際には鼻や口から吸い込んだ放射性物質による内部被曝がこれに加わっています。それを加味して、1年間4μSv/h被曝し続けたとしたら、4×24×365=35040マイクロシーベルト=35ミリシーベルトですので、軽く20ミリシーベルト/年を超えます。
1.5μSv/hという数値は空中での計測値で、現在の放射線は、地表や建物、植物などに付着したセシウムから出ているものがほとんどですので、地面や水たまりなどではずっと高い数値を示します(このことは、すでに私は川内村の中であらゆるところをガイガーカウンターで測って実証済みです)

郡山市という都会でもこうなのです。
桁違いに汚染された浪江の津島や飯舘周辺に今も残っている人たちは、今から逃げたとしても、すでに確実に年間許容量を超えています。風評被害やパニックを呼ぶようないい加減なことを書くな、と怒られそうですが、これはどうしようもない現実であり、直視しなければならないことなのです。

政府にできることは、とにかく正直になること。

続きを読む
戻る
[原発]
[無能な政治家]

コメント(全0件)


記事を書く
powered by ASAHIネット