2025-03-05
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「彼(プーチン)はウクライナの東部とクリミアという大きな部分を2014年に占領した。それから何年も。バイデン前大統領だけでなく、当時のオバマ大統領、トランプ大統領(1期目)、バイデン大統領、そしてトランプ大統領(2期目)。ありがたいことにトランプ大統領が彼(プーチン)を止めてくれるだろう。しかし2014年に止める者はなかった。彼はただ占領してわがものとした。人々を殺した。」
「しかし、2014年から2022年まで状況は変わらなかった。人々は停戦ラインで亡くなり、誰も彼を止めなかった。ご存じのとおり彼とは大いに対話し、首脳会談も行い、署名もした。新しい大統領として2019年に彼(プーチン)とマクロン氏(フランス大統領)、メルケル氏(ドイツ前首相)と停戦合意に署名した。皆が、彼はもうしないだろうと言った。ガスの契約にも署名した。
しかしその後、彼は停戦を破り、ウクライナ国民を殺害し、捕虜交換に応じなかった。われわれは捕虜交換に署名したのに、彼は実行しなかった。」
……と言っているが、これは今もずっと続いている西側メディアによる「ロシアが一方的に悪い」というプロパガンダを繰り返しているに過ぎない。
ウクライナ紛争の発端は2014年のマイダンクーデターに遡る。
当時、何か不自然さを感じて、ウクライナ東部、いわゆるドンバス地方のロシア語話者ウクライナ人の視点から状況を見てみたいと思い、いろいろ探して学んだことは、2022年の日記に詳しくまとめてある。
時間が経って(老年性の惚けも進んで)いろいろ忘れているので、それらを読み返してみた。
その後3年間で事態はどんどん悪化したが、そもそもなぜこんなことになってしまったのかという理解は、当時の日記に書いた内容と基本的には変わっていない。
超簡単にまとめると……、
- ソ連崩壊後に独立国となったウクライナでは、ロシアが支援するヤヌコビッチや東部ドンバス地域のロシア系住民(総人口の2割)と、米国が支援するティモシェンコや西部地域のウクライナ系住民(総人口の7割)との政治闘争が続いていた。
- 米国政権のタカ派やネオコンは、ウクライナに親露政権ができるたびに反政府運動を支援し、政権転覆のやり方を指導してきた。その結果、2014年に、選挙を経て大統領となっていたヤヌコビッチを追放し、反露政権を立てるクーデターに成功した。これを裏で主導したのはビクトリア・ヌーランド米国国務次官補(当時。その後、国務次官)らで、CIAも暗躍した。
- これを機に、米国のタカ派指導者たちは、ロシアを潰すため、ウクライナを不安定化させ、戦場とすることでロシアを挑発し続けるという戦略を激化させた。
- そのためにウクライナの民族主義者、極右ネオナチたちを煽動し、ロシア語を公用語から外し、東部地域からロシア語を話すロシア系住民を排除する民族浄化策をやらせた。ネオナチで構成されるアゾフ大隊が中心となり、東部地域のロシア語話者住民への攻撃で、多くのウクライナ人が殺された。
- 命を脅かされた東部やクリミア半島の住民はロシアに助けを求め、ドイツ・フランスが仲介に入ってミンスク議定書が結ばれたが、まったく機能しなかった。
- その後も、ドンバス地域へのウクライナ軍の砲撃、虐殺などが続いたが、トランプ政権下時代は、プーチンはギリギリのところで大きくは動かずに耐えた。
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