完爾と賢治
2019-09-22


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また、賢治は日中戦争の拡大・激化や太平洋戦争は知らないまま30代で死んでいる。満州国建国宣言や5.15事件あたりまでは知っているが、これも東北の田舎で事件のことを聞いただけだっただろう。戦後まで生き続けたら、どんなものを書いていたのだろうか。
人がどんな人生を生き、後にどう評価されるかは、ほんとうにちょっとした運やタイミングの違いで大きく変わってくるのだろうと、改めて思った。

馬鹿がトップに立つ怖ろしさ

よく言われる「IF」の一つだが、石原完爾と東条英機が入れ替わっていたら、日本史どころか、世界史がガラリと変わっていたかもしれない。どう変わっていたのか……想像するのは怖いのだが……。

読みあさっている本の中には、保阪正康さんのものが何冊かあるが、こんなインタビューを見つけた。 僕は東條(英機)が憎いとかなんとかじゃなくて、こういう人が首相になって、陸軍大臣になって、しかも兼務ですよ。最後のほうは参謀総長、内務大臣など。なんでこの男がこんなに権力を握ったのかという、そのからくりの全体がきちんと整理されていかないと、戦争の反省なんてありえないと思うんです。(略)
(東條は)人間観がものすごく狭いんですね。おまけに、(略)文学書や哲学書なんて読んだことがない。ものを相対化する力がないわけです。戦争へ行ったら、勝つまでやるというプログラムしかない。こういう人が指導者になっちゃいけないんだということを、我々は共通の認識で持たなきゃいけないと思います。
東條英機の妻、石原莞爾の秘書に会ってきた。『昭和の怪物 七つの謎』の凄み) 講談社BOOK倶楽部)
まったくその通りで、石原完爾のような頭のいい人が、怖い思想、世界観で軍隊を率いたら怖ろしいけれど、少なくとも、馬鹿が軍隊のトップ(国政のトップ)にいるよりはいい。まともな思考力があれば、最悪の事態を避ける努力をするはずだからだ。
さらには、本当に頭がいい人間は自分の過ちを認め、軌道修正ができるが、馬鹿は最後まで馬鹿なままだ。反省も学習もしない馬鹿に自分たちの命を預けるなんて、そんな怖ろしいことがあるだろうか。

石原完爾と東條英機が入れ替わっていたらというのは「想像」の話だが、「ものを相対化する力がない」馬鹿が国のトップにいたら、という恐怖は、令和時代の「現実」である。そのことを、多くの人たちがなめてかかっていることが、さらに怖ろしい。



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